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2007年1月9日 読売新聞に掲載

2007年1月9日 読売新聞に大活字、市橋正光の記事が掲載されました。
掲載されました記事を原文にてご紹介させていたただきます。

あなたの子に生まれて(読売新聞 2007年1月9日)
「弱視者も読書」夢継承
父が始めた大活字本出版 廃業の危機に「社長やる」

 神田神保町に立つ雑居ビルの6階。十数平方メートルの狭い店内に約300冊の本が並ぶ。「世界の中心で、愛をさけぶ」「いま、会いにゆきます」といったベストセラーも多いが、よく見ると普通の本と違う。活字の大きさはすべて約7.5ミリ角。新聞の文字の約2.5倍もある。
運営しているのは、大きな文字の本を専門に扱う出版社「大活字」。社員10人を束ねる2代目社長、市橋正光(33)は、「これなら弱視の人でも、ルーペなしで読めますよ」と語る。それは、創業者だった父、正晴の夢でもあった。

正晴は先生性の弱視だった。見えるのは矯正視力0.03の左目だけ。だが、無類の本好きで、自宅の本棚には数百冊の文庫本が並んでいた。机に突っ伏すような姿勢で本に顔を近づけ、ルーペ片手に文字を追う。そんな父の姿が、正光の幼い日の記憶に焼き付いている。
小学校から高校まで普通学級を通し、大学卒業、川崎市盲人図書館に就職。そのかたわらで、「視覚障害者読書権保障協議会」の事務局長として障害者の読書環境作りに奔走してきた正晴だったが、特にこだわったのが、「ルーペなしに、健常者のような楽な姿勢で読める」大活字本の普及だった。
大活字本は、欧米では既に一般書店でも販売されていたが、日本では福祉団体が高齢者向けに時折出版し、一部の図書館に置かれる程度。文字は明朝体ばかりで、縦線に比べ横線が細いため、弱視者には「田」が「川」に見えてしまう。
正晴は、「太さが均一で、弱視者にも読みやすいゴシック体で」と働きかけたが、断られた。「明朝体の方が美しく、高齢者も慣れ親しんでいる」というのが理由だった。65歳以上の人口は当時、全国で1800万人いたが、弱視者は約20万人。市場の狭い弱視者向けの本を出版してくれるところは見つからなかった。

「それなら自分で出そう」。1996年春、正晴は突然、家族に「退職して出版社を起こしたい」と宣言する。
だが当時、市橋家には大学4年生だった正光を筆頭に男の子供が4人。家族は「せめて数年待って」と頼んだが、正晴は聞かない。自分の着替えと布団を持って家を出てしまった。
その年の8月、退職金などを資本金にして「大活字」を設立した正晴は、半年で「注文の多い料理店」など8タイトルを出版。しかし、軌道に乗り始めた97年2月の夜。歩道橋の階段を踏み外して転落し、2か月後に死亡した。50歳だった。
志半ばに亡くなった父の葬儀の光景を、正光は一生忘れないという。全国から集まった300人近い視覚障害者たちが、盲導犬や白いつえを頼りに長い列を作り、泣きながら手をあわせてくれた。
葬儀から15日後。臨時の株主総会で、廃業の話が出ると、正光は思わず「私が社長になります」と宣言していた。大学を卒業し、不動産会社に就職したばかりの身だった。だが、父親が家を出てまで起こした会社を、手放すことはできなかった。

毎朝6時。社員のだれよりも早く出勤すると、正光は事務室に飾った父の遺影の前で一礼する。「今日もよろしくお願いします」
この10年、順調な道のりだったわけではない。最初に出版した「鉄道員(ぽっぽや)」は、刷った6000部の7割が返品。社員から「明朝体の方が売れる」と進言されたこともある。だが、父がこだわったゴシック体のスタイルは崩したくなかった。
全国の図書館を回って売り込みをかけ、最近ようやく全公共図書館の1割にあたる約300館が定期的に購入してくれるようになった。これまで118タイトルを出版。まだ、赤字を出さずに済むギリギリの状態だが、「あきらめていた読書が出来た」「良書をありがとう」、そんな読者からの手紙が何よりの支えになっている。
今の目標は、国に大活字本購入の助成制度を作ってもらうこと。現在、弱視者の団体などと協力して準備を進めている。大活字本の出版社が増え、一般の本と同じように書店で手軽な値段で買えるようにするーー。「ルーペなしで、寝っ転がって本を読むのが父の夢だった。弱視者みんなが実現できるように」。遺影の父に誓っている。(敬称略、野口博文)